こんにちは、税理士の山下です。
少し前に、芸能人家族の生活保護受給が問題になってましたね。
これについて、考えてみたいと思います。
河本氏・梶原氏が、ものすごく責めたてられてますね。
国会議員から名指しされ、国会の場で取り上げられるなんて。
ちょっと、凄すぎ。
私は、河本氏も梶原氏も、全然悪くないと思います。
だって制度に従って、かつ役人に相談しながら受給してたんですよね?
無問題です。
両氏の年収は、基本的には無関係と考えます。
子供が独立すれば、別所帯です。それが世界標準です
バッシングは、見当ハズレです。
でも、この問題。
日本という国の、深刻な病状緒を物語っていると思います。
芸能人家族の受給はさておき、
逆に受給されなかったことによる問題を考えてみましょう。
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(朝日新聞より)
日記に「おにぎり食べたい」 生活保護「辞退」男性死亡
2007年07月11日16時16分
北九州市小倉北区の独り暮らしの男性(52)が自宅で亡くなり、
死後約1カ月たったとみられる状態で10日に見つかった。
男性は昨年末から一時、生活保護を受けていたが、4月に「受給廃止」となっていた。
市によると、福祉事務所の勧めで男性が「働きます」と受給の辞退届を出した。
だが、男性が残していた日記には、そうした対応への不満がつづられ、
6月上旬の日付で「おにぎり食べたい」などと空腹や窮状を訴える言葉も残されていたという。
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お役人に、「そろそら働いたらどうか」と言われ、辞退届を提出したとのことです。
実際には内臓疾患で働くことが出来ず、衰弱しての孤独死です。
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<40代姉妹死亡>「生活苦しい」区役所に3回相談 札幌
毎日新聞 1月24日(火)12時22分配信
札幌市白石区のマンションで知的障害のある妹(40)と姉(42)とみられる遺体が
見つかった問題で、この姉は約1年半前から3回にわたり区役所に生活相談に訪れ、
生活保護申請の意向をみせていたことが、市役所への取材で分かった。
姉は自身の仕事や妹の世話をしてくれる施設も探していたようで、
その最中に急死し、連鎖的に悲劇が起きたとみられる。
札幌市保護指導課によると、姉は10年6月、11年4月、同6月の計3回、区役所を訪れ
「生活が苦しい」と訴えた。2人の収入は中程度の知的障害がある妹の障害年金だけ
だったとみられる。昨年6月、姉は「今度、生活保護の関係書類を持ってくる」と言って
必要な書類を聞いて帰ったが、その後は相談がなかった。
北海道警の調べでは、姉妹の部屋に求職に関するメモがあった。
姉とみられる遺体の死因は脳内血腫。姉は3年前に脳外科を受診した記録があり、
体調不良を自覚しつつ職探しをしていた可能性がある。
区内の民間障害者施設によると、姉は約1年前に妹の通所の相談に来たが、
決まらないまま連絡が途絶えたという。
一方、妹とみられる遺体の死因は凍死で、死後5日~2週間。
料金滞納のためガスは11月末に止められており、室内は冷え込んでいたとみられる。
札幌白石署によると、昨年12月15日に家賃滞納分の振り込みがあり、
それから数日内に姉が急死したとみられる。
同20日に「111」など複数の発信記録が姉の携帯電話にあった。
残された妹が110番など何らかのSOSを出そうとしたのかもしれない。
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一年半も前に3回も申請しているのに・・・。
なんのための生活保護でしょうか?
最後の2行、切なすぎて涙が出そうになります。
2人の芸能人と、2件の悲惨な事件の当事者。
この両者を比較すると、問題点が見えてきます。
河本氏・梶原氏は両者ともに母子家庭で育っています。
このことから恐らくは、公的扶助の申請等になれていると思います。
だから、「もしかしたら、生活保護受給できるんじゃない?」と
思いつけば、躊躇なく市役所なり区役所なりに行ったのではないでしょうか。
そして役人と話しても、「如何に自分には受給する権利があるか」を、
ハキハキと明確に主張し続けたのではないでしょうか?
一方で亡くなった2件では、ギリギリの状態に陥ってから相談しています。
そして役人の説明で、あっさりと引き下がってしまします。
このことから分かることは、生活保護受給に関しては、
必要性・緊急性が低い人ほど「声が大きく」、
必要性・緊急性が高い人ほど「声が小さくか細い」ということです。
考えてみれば、当然のことです。
息子が数千万円の年収があるにも関わらず、生活保護を要求する人。
そういうタイプの人なんですから、何の遠慮もないでしょう。
役人を「説得」して見事、生活保護をゲットできるのです。
一方でギリギリになって、生活保護を要求する人。
なぜギリギリまで請求しなかったか?
生活保護を恥ずかしいと思っている、あるいは申し訳ないと思っている。
そういうタイプの人なんですから、
逆に役人に説得されて、スゴスゴと退散してしまうのです。
だから、本当に生活保護を必要としている人が受給できず、
逆に、必ずしも必要ではない人が優先して受給することになるのです。
そう、問題は行政側にあるのです。
「働きなさい」と言ったり、1年半も対応を引き延ばした結果、
その相談相手は死んでしまったのです。
この「声の小さい」相談者こそ、最優先で対応しなければならないのです。
逆に、河本氏や梶原氏の母親達は、ほったらかしにしても良かったのです。
まず死ぬことは、なかったでしょうから。
そんな状態になれば、さすがに河本氏も、
5千万円はあるという年収のうち、少しは母親のために使うでしょう。
梶原氏も、母親のためにマンションを売却して援助することでしょう。
別に河本氏・梶原氏を非難しているわけではありません。
ただ、必要性・緊急性が高くないと言っているのです。
そして、これらの判断は行政が行うべきものなのです。
生活保護行政に携わるということ。
彼らにとって、それは日常の「仕事」です。
しかし相談者によっては、残りの「人生」「命」がかかっているのです。
いま話している相談者は、どういう相手なのか。
それを見極めることが必要です。
また、日常では「声の大きいもの」が優先されます。
しかし生活保護の現場では、むしろ逆にしなければならない。
そのことを理解することが必要です。
などということを、数か月間かけながら、
ぼんやりと考えてしまいました。
おしまい。