こんにちは、二見事務所の山下です。
少し古い話ですが、11/23の勤労感謝の日、午前5時台のFMラジオに、
民主党の議員さんが出ていて、「高福祉高負担」という言葉を発言していました。
その時に感じた違和感について、エントリーします。
このラジオの内容そのものの詳細は忘れましたが、
要は「高福祉高負担」か「低福祉低負担」かの選択というような話でした。
これらの言葉自体は、特に目新しいものではありません。
消費税や社会保険料に関する論議には、かならず付いてくるものです。
高い福祉を実現するためには、高い負担を要する。
まあ、当たり前のことです。
しかしながら、久しぶりにこの言葉を耳にして、ものすごく違和感を感じました。
何に違和感を感じたか。
すぐには、自分自身よく分かりませんでした。
まだ早朝の5時台で、頭もよく回りません。
ガシラ(カサゴ)を釣りながら何となく考えていると、形が見えてきました。
「高福祉」と「高負担」がワンセット。
では、どういう形での「セット」を前提にしているのか。
年金を中心に考えてみます。
年金は、日本においては「賦課方式」であり、「社会保険料方式」です。
これと対極にあるものが、それぞれ「積立方式」と「税方式」です。
「賦課方式」は「世代間扶養」を目的とした制度です。
現役世代が年金受給世代を支える、という制度です。
つまり現在支払われている年金は、現役世代が払っている保険料が原資です。
つまり「福祉」と「負担」のセットは、受給世代の「福祉」と現役世代の「負担」です。
さて、年金に特に詳しくない人&興味・実感がない人が、
「高福祉高負担」という言葉を聞いた場合、なんと思うでしょうか?
日本のサラリーマンの殆んどは、税金・社会保険料を天引きされ、
負担感が少ないとされています。
(あるいは、そのように仕向けられているという意見もあります)
おそらくは、
『自分たちが将来高い福祉を得るためには、
高い負担をしなければならない』
そのように勘違いするのではないでしょうか。
この勘違いの場合は、自分が受ける「福祉」と自分自身の「負担」がセットです。
そうです。
私が感じた違和感は、ここに有ったのです。
「高福祉高負担」、こんな曖昧な表現で許されるのだろうか?
では現役世代、特に若者が、勘違い通りに「高福祉高負担」を実現することは可能?
恐らく不可能でしょう。
つまり「福祉」と「負担」のセットを自分自身にするならば、
「高福祉超激高負担」
「低福祉高負担」
「無福祉中負担」(生活保護等は、別枠と考えて)
になってしまうのではないでしょうか。
賦課方式・社会保険料方式が「世代間扶養」である以上、
少子高齢社会では、この問題は避けて通れないでしょう。
制度(運用も含めて)上の問題、人口(死亡率・出生率)予測、政治(選挙)的な目論見、政治家も官僚も、分かってて目を瞑っていた面もあるかと思われます。
この「世代間扶養」は、結果的に「世代間格差」を生み出しています。
現役世代は、受給世代より多く負担するにも関わらず、福祉は少ない。
でも「世代間格差」は、まだ容認される傾向があります。
戦争を経験した人たちだから。
戦後の貧しい時代に、日本を支えた人たちだから。
もっと直球でいえば、老人は弱者だから。(現実には、そうとは限らないのに)
でも、無制限に容認されてい良いのか?
当然のことながら、疑問が残ります。
ここ最近、「雇用」についての「世代間格差」が注目されています。
(このことについては、また後日エントリーしたいと考えています)
年金等の福祉における世代間格差も、これまでのように容認はされないでしょう。
総理大臣も、年金について発言が右往左往する今日。
我々国民ひとりひとりが、もっと深く考えなければならないと感じます。
*注記*
私は社会保険労務士や年金アドバイザーではなく、また年金に関して、
特に深く勉強したことはありません。
あくまで個人的な見解と浅い知識でもって、書いています。
間違い等もあろうかと思いますが、ご容赦ください。
また、国民年金保険料の滞納・不払いを奨励するものでは有りません。
国民年金には、老齢年金以外に「障害年金」や「遺族年金」等もあります。
安易な気持ちで滞納・不払いすることは、決してお薦めしません。
あぁ、クリスマスイヴに暗い話題をエントリーしてしまった・・・。